わたしのヒストリー デイサービス利用者 神谷弘子さん(82歳)

 人生はたった一度と言われますが、その人の歩んだ人生は唯一のもの。その貴重な体験を「私のヒストリー」(ライフヒストリー)と題してご紹介します。

養豚時代

 役所に勤めていた夫とはいとこの紹介で結婚しました。
私の実家が貧乏だったので美味しいものがあると実家に持っていきなさいと言ってくれる優しい両親のいる大家族でした。 私達も三人の子供に恵まれました。
夫・清孝さんと二人三脚で

夫・清孝さんと二人三脚

 夫婦で養豚をするようになりました。姑が認知症になりあのころは施設もないので私がみていました。私がそばにいれば安心して寝てくれるのですが、私が豚舎に行って居ないときにはすぐに出て行って困りました。
子豚の観察

子豚の観察

 豚舎では多い時は母豚四十頭を含め三~四百頭ほど養っていました。一日で五頭がお産することもありました。 お産して養いきれない母豚がいるときは家に連れて帰り、ミルクを作ってあげていました。子供達もよく手伝いをしてくれました。 休みになると遊びには行かないで軽トラックの荷台にみんな乗って豚舎へ行きます。それを見た近所の人からは「神谷軍団!」と呼ばれていました。 夫が会合に行っている時にかぎって、豚が逃げ出し、通りがかりの方が連れて来てくれる事もありました。 私は豚に馬鹿にされていました。
出荷のお手伝いをする子どもたち

出荷のお手伝いをする子どもたち

 義母の介護も重なり私が体調を崩し、夫一人では豚舎の仕事は無理と言う事で、思い切って豚舎を片づけました。 最後は全頭出荷しました。養豚時代は大変だったけど今思えば家族の良い思い出となっています。

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