私のヒストリー「やんばる船への木材切り出し」

 人生はたった一度と言われますが、その人の歩んだ人生は唯一のもの。
その貴重な体験を「私のヒストリー」(ライフヒストリー)と題してご紹介する企画です。


東村高江 比嘉憲祝(八十九歳)デイサービス利用者

私が二十五,六歳ぐらいの時、山原船は六隻ぐらい来ていました。僕たちは山から木を切り出して山原船に載せていました。人力で担いで運んでいました。天気によって船はきますから、来るときはいっぺんに来てたいへんでした。

やんばる船画像

積まれたメーギ(メージ)と荷鞍した馬
写真:東村教育委員会提供

 西銘,長嶺、テツ、ヨシという方々が船をもっていました。農協も船をもっていました。木材は買い取る人が各船にいました。山から木を切り出してきたらその日でお金が入っていました。お金は貯めて、運搬用の馬を買ったり、家畜の豚を買ったりしていました。当時は税金などがないからお金より品物が必要でした。やんばる船に木材を載せて与那原まで持っていきこちらへ来るときは食料品や日用品を積んできていました。運ばれてきたのは主には食べのもです。米、芋、みそ、しょうゆなどです、砂糖は樽にはいっていました。養った豚は木材を買い取る人が買って与那原の市場に持っていくのを分けて貰っていたのでお金を出して買うという事は無かったです。

やんばる船画像

キチを束ねる
写真:東村教育委員会提供

 困ったのは天気が悪く船が来ないときです。ですから、夏場の台風後に船が入ってくる時はうれしかったです。船が入ってくるときは船の主がホラを吹いて合図をしていました。自分が利用している船のホラの音はすぐわかりました。それを聞いたときは何とも言えなかったです。船に荷物を積み込んで送り出したら、皆でソーメンイリチャー(そうめん炒め)してウタイナオシ(慰労会)をしていました。

やんばる船

原木をタムンザー(ニーマー)に降ろす
写真:東村教育委員会提供

やんばる船

原木を搬出する

 私が三〇代になる頃、軍が道を開けてからは陸上から物資は運搬するようになりました。今、高江共同店があるところに製材所ができました。私は山から切り出した木を今度は船ではなく、製材所に運んでいました。製材所ができたころからそれまでの茅葺屋根から瓦屋根の家にかわっていきました。田嘉里や安波、宮城から大工が来て家を建ててくれました。その頃に自分で切り出した木で我が家を建てました。そういう時代でした。

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