わたしのヒストリー デイサービス利用者

デイサービス利用者 島袋ヨシ子(84歳)

お菓子で幸せに 父親は菓子職人

父の製造した「たんなーふぁーくるー」「こーがーしい」「松葉菓子」などを名護、羽地、数久田、遠くは国頭方面の売店などに配達し卸していました。父親は小さい時に名護のお菓子屋で修行し塩屋で製造を始めました。父親もお金は貯めず、子供たちの教育に力を入れていました。兄弟は進学しました。
わたしのヒストリー

一番好きなお菓子は父の作った「たんなふぁくるー」

 父の菓子販売と並行して菓子卸を行いました。当初は那覇の卸メーカー「オキコ」「ロッテ」などがトラックに積んで持ってきたものを値段交渉しながら仕入れました。時には子供たちに味見をさせ子どもの好む物を仕入れました。おつまみや外国商品も扱いました。

わたしのヒストリー-

主人はドライバーで私は助手席に乗り伝票を書いたりして帳簿は私がみていました。長男が後を引き継いでからも支払いなどお金に関することは最近までやっていました。

わたしのヒストリー
 

 自分が中学卒で学問が出来なかったので稼いだ分は子供たちの教育に使いました。料理は得意で三時に起きて皆の弁当を作り持たせていました。コーラやチューチューは飲ませず生の果物でジュースを作って飲ませました。食べるものにはお金をかけずゴーヤチャンプルー、パパイヤチャンプルー、ナーベーラーチャンプル―の繰り返しでした。

タンナーファークルー

沖縄菓子 タンナーファークルー

夫は不満を言わず「お母さんの料理はどの食堂やレストランよりもおいしい。」と言ってくれました。今でも、たまには口げんかもしますが、デイサービスに行くときには毎朝、見送りをしてくれます。

我が人生にくいなし

後悔はないですが、子供たちが結婚をしてくれれば何も望む物はないです。子ども達には自分たち夫婦の様に幸せになってほしいです


前のページへ戻る

 

 

当サイトはSSL暗号化通信により安全に保護されています。

QRコード